廃業からの復活!「福光酒造」の魅力とこれからの活動とは?

2024.09.06 kuroo

福光酒造さんは北広島市大朝地区にある酒造会社です。今回は、四代目蔵元兼杜氏である、福光寛泰さんにお話を伺いました。

酒蔵の中には、通称「酒蔵ピアノ」と呼ばれるグランドピアノが設置されていることでも知られている酒造会社。酒蔵としてだけではない、魅力も持ち合わせているんです。

今回は、福光酒造さんの歴史や魅力・これからの展望について紹介します。

回答者様のプロフィール

引用:福光酒造

福光寛泰 1971年広島県府中町生まれ。岩国市在住 福光酒造(株)四代目蔵元兼杜氏。

福光酒造の歴史

引用:福光酒造

福光酒造は創業から現在まで、かなりの紆余曲折があった酒造会社です。まずは福光酒造のこれまでの歴史について紹介します。

平成18年に廃業

福光酒造の創業は昭和8年(1933年)です。明治6年(1873年)に創業していた高杉酒造を継承する形で福光酒造を創業。創業後は高杉酒造の酒蔵などをそのまま利用して日本酒醸造を営んでいました。

当時は今のように全国流通網が確立していなかったということもあり、福光酒造のお酒は主に旧大朝町内での販売がメイン。毎日のお食事で愛飲されていたのはもちろん、当社のメイン商品である「朝光」はお祭りや冠婚葬祭、有名な神楽などお祝い事には欠かせないものとなっていました。

ところが平成18年春、3代目の杜氏だった三代目が病で倒れてお酒の醸造が不可能となってしまい、福光酒造は73年の歴史に幕を下ろしました。そして廃業と同時に日本酒の酒造免許も国に返納しています。当時福光さんは後を継ぐつもりで村重酒造で修行中だったので、廃業のニュースは非常にショックだったそうです。

すぐにでも復活させたいという気持ちがあったそうですが、当時の自分ではまだまだ役不足だと感じたらしく、福光さんは実家が廃業してからも村重酒造で働き続けていました。

13年ぶりの復活

そして平成27年に福光さんは村重酒造を脱サラし、福光酒造を9年ぶりに復活させることを決心します。しかし、なにしろ9年間放置されていたので、会社の中は荒れ果てていて、とても営業できない状態でした。

そこで仲間や地域の大学生に協力してもらって酒蔵を掃除し、壊れたところの修繕や改修をすると同時に日本酒の酒造免許を再び取得しようとするのですが、日本酒酒造免許の取得は不可能だと告げられます。

日本酒の醸造をするという夢は立たれましたが、福光さんはどんな形でもよいから、とにかく福光酒造を復活させようと別の方法を模索しました。

その結果、町が保有している特許免許を使えば、「どぶろく」と「ワイン」なら醸造できることが分かります。すぐにワイン造りをスタートさせるために、まずは町内でブドウを栽培することから始めました。

そして平成31年4月にどぶろくとワインの醸造が可能になったため、13年ぶりに営業を再開させ、今日に至ります。

福光酒造で開催しているイベント

引用:福光酒造

福光酒造では、創業当時より地元のお祭りがあれば、お酒を提供していました。創業を復活させてからも、その活動は継続しています。

北広島市大朝地区では、毎年4月29日に「わさまち」、11月中旬に「さば祭り」というお祭りがあります。お祭り期間中、福光酒造では酒造を解放してライブイベントや角打ちを実施したり、BARコーナーを設置しています。

お祭り時の酒蔵開放とは別に年5回程度ですが、酒造ライブやコンサート・トークショー・映画の上映・ワイン会なども開催。多くの人を楽しませています。

また、福光酒造の酒蔵の中にはグランドピアノが設置されているところも特徴のひとつ。このグランドピアノは通称「酒蔵ピアノ」と呼ばれているのですが、酒蔵ピアノは自由に演奏できます。酒蔵でピアノが演奏できるのは、恐らく日本全国探しても福光酒造だけでしょう。さらに酒蔵内にはブランコもあって、子供たちが自由に遊べるよう、常に開放されています。夏には、お酒を仕込む時に使う上質の仕込み水を使って、流しそうめんイベントも実施しているんです。

更に、事前に要望すれば、酒蔵の見学やどぶろくの試飲会も実施するなど、福光酒造はその名前を多くの人に知ってもらうためのさまざまなイベントを実施しています。

福光酒造がある、北広島大朝の魅力

引用:福光酒造

北広島市大朝地区は、広島県の大英雄、毛利元就公の奥方である「妙玖」の生誕地です。妙玖は良妻賢母として大変有名で、3人の非常に優秀な後継者を育てたのですが、次男の吉川元春公の故郷が同じく大朝地区と言われています。

大朝地区には、元春公ゆかりの史跡がたくさん残っているので、日本史が好きな人には楽しめる土地なのではないでしょうか。また、酒蔵前の通りはかつてこの地を治めていた旧浜田藩が参勤交代で通った「石州街道」と呼ばれる街道でした。

大朝地区は中国山地の屋根にあたる部分であり、広島県であるにもかかわらず、冬には50cm以上の積雪になります。町内には3つのスキー場と温泉地もあり、冬になると県内外からスキーを楽しむ人が大勢訪れる場所です。

もともとこの地域は厳島神社が所有する荘園であり、古くからお米の生産が盛んでした。お米の生育にも、お酒の醸造にも欠かせない水も非常に澄んでおり、国の特別天然記念物である「オオサンショウウオ」の生息地としても有名です。

今後の展望

引用:福光酒造

最後に、福光さんに、今後福光酒造をどのような酒造メーカーにしていきたいかをお聞きした際の回答を紹介します。

福光酒造は、どぶろく醸造免許に加えてワイン醸造免許を取得しており、ワインを主力のひとつとして成長させたいと考えているそうです。そのため、ワインを醸造するためにブドウ畑を町内に作ったのですが、ワインを醸造するためのブドウの生産量が少ないのが現時点での悩みの種のひとつだそうです。

ワイン用のブドウは無肥料・無農薬で栽培しているそうですが、今後は増産させて、ワインの醸造を本格的にスタートさせたいと話されていました。

酒蔵は2階建てになっているのですが、2階部分は営業再開して以降、一度も使っていないそうです。そこで2階部分を改修して宿泊できるレストラン、酒蔵オーべルジュにするという計画を立てています。

酒造メーカーということもあり、福光酒造の酒蔵にはお酒に関する書籍や酒器が非常に豊富です。酒造オーベルジュが完成すれば、お酒好きには最高の宿泊地となることは間違いありません。

これからの福光酒造はお酒を醸造する酒造メーカーという枠を超えて、多くの日本酒ファンが宿泊目的で訪れる場所としてパワーアップしていくというのが、福光酒造四代目である福光さんが見据えるビジョンです。

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