200年以上の歴史を誇る茨城県の蔵元「井坂酒造」のななめうえな魅力に迫る!

2024.09.06 kuroo

本日は、200年以上の歴史を誇る井坂酒造さんに取材させていただきました!

舞台は、常陸太田市は小中町・里美地区にある酒造会社。澄んだ水と栄養豊かで良質なお米でお酒を酒造するのが井坂酒造の粋であり、茨城でも銘酒と名高い「日乃出鶴」を生み出した酒造所なのです。日乃出鶴は、地酒として日本酒付きから愛されているという顔も持ちます。

今回インタビューに応じてくださったのは、井坂酒造専務兼蔵元杜氏である井坂 統幸(いさか むねゆき)さんです。インタビューを通して、井坂酒造の魅力とこれからの展望をご紹介します。

井坂酒造の若旦那:井坂 統幸さん

井坂 統幸(いさか むねゆき) 1985年、井坂酒造がある茨城県常陸太田市里美地区(旧里美村)生まれ。大学卒業後はIT企業に就職し、Web系システムのプログラマー・システムエンジニアとして8年間勤務、その後は家業である酒蔵 「井坂酒造」へと転職する。

「井坂酒造」の歴史・概要

引用:井坂酒造店

井坂酒造は茨城県の最北部、常陸太田市里美地区(旧里美村)にあり、江戸時代末期である文政元年(1818)年に創業しました。里美地区はもともと農林業が盛んな土地で、美味しい酒造りに必須である澄んだ水がありました。お酒の原料となる米も非常に栄養のある良質なものが収穫されており、お酒を造る環境がすでに整えられていました。

代表銘柄は「日乃出鶴(ひのでつる)」で、日乃出鶴という名前は、初代が日が登る東の地で酒造りを習得したことから名付けられました。

日乃出鶴を含めて井坂酒造が造るお酒は淡麗辛口であり、食事を引き立てる味わいであるのが最大の特徴。名前も非常にめでたいということもあって、創業当初から地元で親しまれていました。

戦後は全国的な米不足ということもあって清酒造りを中止していましたが、地元で芋が収穫されていたこともあって、焼酎造りで営業を再開します。

数年後に米の確保ができるようになったため、越後杜氏を招いて清酒造りも再開しました。そして平成初期からは蔵元自ら酒造りを行う蔵元杜氏として自力醸造に切り替え、今日に至ります。

「井坂酒造」で開催しているイベントや体験

引用:井坂酒造店

井坂酒造では、事前予約制で酒蔵見学を実施しており、蔵元自身が明治時代に建てられた酒蔵内部や歴史の案内を行っています。酒蔵見学では日本酒の試飲と購入も可能で、お酒が好きな方にとっては非常に魅力的なイベントとなっているのではないでしょうか。

そのほか、環境保持や地域循環を考慮して、2024年からは酒米の田植えと稲刈り体験をスタートしました。第1回目の田植え体験は5月初旬に実施しており、稲刈りは9月初旬を予定しています。

今回の田植え・稲刈りはプレ体験として、試験的に実施。今回の取り組みが成功すれば体験型プロジェクトとして毎年実施したいと語っておられました。

「井坂酒造」の魅力とは?

引用:井坂酒造店

井坂酒造は製造数量約70石と、全国の酒蔵メーカーのなかでも最小といえる小さな酒蔵。しかし、地元の人に愛されて創業200年を迎えており、非常に長い歴史を持つ酒造メーカーです。

昨今、日本酒は海外でも注目されており、海外の食事にマッチした多種多様な日本酒が続々と誕生しています。井坂酒造でも伝統の味は残しつつ、日本国内のみならず海外の日本酒好きの方にも楽しんでいただけるようさまざまな取り組みを実施しているそうです。小さな蔵元かつ自力醸造だからこそ可能となる柔軟な対応力とフットワークの軽さこそが、井坂酒造最大の強みであり魅力といえるでしょう。

また、井坂酒造では徹底して地元の原料にこだわっているのも魅力の一つです。「地酒」とは、その土地の酒と書きますが、その土地で販売しているだけでは真の地酒とはいえません。地元の原料を使い、地元で醸造し、地元で販売するのが真の地酒です。

井坂酒造では、基本的に茨城県産の米で醸造しており、そのうち4割ほどが里美地区で収穫された米を使っています。地元の原材料を使って造ったお酒だからこそ、里美地区の特産品として胸を張って「良いお酒です」と言い続けることができるのです。

私達がおすすめする「常陸太田市里美地区」の魅力

引用:井坂酒造店

井坂酒造がある常陸太田市里美地区は、海抜200mほどの位置にあります。都会で過ごしているとどうしても住宅やビルに囲まれて圧迫感を感じてしまうものです。その点、常陸太田市里美地区は低い山に囲まれていて、圧迫感がなく風通しのよい土地で、空を近くに感じることができます。

また、常陸太田市里美地区は「都心からの強い光が届かない最短の場所」とも言われています。都会だと夜も建物やネオンなどの明かりがあって星空が綺麗に見えませんが、常陸太田市里美地区は都会とは比べものにならなくらいの満天の星空を満喫できます。

太田市は全国の地方都市と同様に高齢者の比率が増加して過疎化が進んでいますが、「子育て上手ひたちおおた」と銘打って、子育て世代に対しての施策に力を入れています。その効果が現れてきたのか、近年は若い夫婦の移住者が増えてきました。移住した人が稲作や新しい事業を興そうとすると、近隣の住民が積極的に力を貸してくれます。

田舎の人達は良くも悪くも「おせっかい」なのですが、常陸太田市は都心から日帰りで行ける距離にあるからか、ここの人たちは必要以上に近い距離にならない絶妙なコミュニケーションを取ってくれます。

都心からちょうどよい位置にある田舎の景観と、ちょうどよい人付き合いをしてくれる地元の人たちに魅力を感じているからこそ、若い人たちの移住が増えてきているのでしょう。

どんな酒造でありたいか

引用:井坂酒造店

井坂さんは、井坂酒造が1818年に酒造として創業し、激動の時代を乗り越えて200年を迎えられたのは地元民のおかげだと、感謝の気持ちを示していました。

過疎化が進行している地元常陸太田市小中町に井坂酒造ができることは、「これからも続いていくこと」だと考えておられます。

日本酒のいちブランドとして、そして常陸太田市小中町の特産物のひとつとして、この土地で米を作ってもらい、地酒をつくり、お客様を集めて里美の名前をひとりでも多くの人に知ってもらうための活動をこれからも全力で続けていきたいと話されていました。

酒蔵メーカーでしかできない、地元への貢献手段が必ずあるはずです。200年の歴史を持つ井坂酒造ができることは何かを模索しながら、地元と共に歩む酒蔵として、これからも活躍し続けることでしょう。

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